誕生日 (続きです)
2002年10月14日子供が生まれたのに声を上げない・・・
深夜だったのでガラスに先生と助産婦さんの生まれた子供になんらかの処置をしているのが映って見える。
(何があったのですか?)
聞きたくても恐ろしくて声が出ない!
ようやくか弱い赤ちゃんの鳴き声が聞こえた。
(生きているの?)
赤ちゃんは助産婦さんに連れられて小児科へ連れて行かれた。
先生が私の処置をするのに戻ってきた。
「赤ちゃんね、出てくるときにちょっと息をするのが早くて便を飲み込んじゃったんだよ。だから生まれてすぐに泣かなかったんだ。でもちゃんと取り除いて今は小児科の先生に見てもらっているからね。心配しなくても大丈夫だよ。」
そうは言われても心配だった。
処置が終わって旦那が分娩室へ入ってきた。
できれば一緒に入ってもらいたかったんだけど、旦那は嫌だって言ってたから無理だってわかってた。
「子供は見た?」と私。
「うん。」
旦那はちょっと元気がなかったように見えたのは後で看護婦さんから聞いた話で納得する。
看護婦さんに子供がどういう状態で・・・って説明を受けた時、「うちの子はどうしてそんななんだろう。」って言ってたらしい。
上の子の時も普通ではなかったので、旦那はそう感じたのだろう。
子供は集中治療室へ入れられることとなる。
病院は母親のそばに赤ちゃんを置くところだったので、私は4人部屋で一人赤ちゃんのいない入院生活を送ることとなった。
看護婦さんが気をつかって部屋を移る?と言ってくれたけれど、そんなことはよくなっていた。
母乳に力を入れた病院だった。
でも私は上の子の時も出なかったので今回も無理だと思っていた。
周りはみんな赤ちゃんに吸わせることができるけれど、私にはそれができない。
吸わせることもできないのもあっておっぱいも張ってこない。
母乳マッサージは続いた。
個人的に自己マッサージの方法も教えてもらったりした。
胸が張るようにと甘いもの、もち、おこわなど進んで食べるようにも進められた。
授乳室で一人出ないおっぱいを絞るのは辛かった。
周りには赤ちゃんにおっぱいを与えながら楽しそうに話をしているお母さん達。
「どうして赤ちゃんはいないの?」
その問いに答えるのもまた悲しかった。
退院する時には50ccやっと絞れる感じだった。
それだけでも嬉しかったりした。全くでなかったおっぱいだったのだから。
子供より先に退院。
子供を毎日見舞うこととなる。
そんな子供も今では元気いっぱい走り回っている。
なんの障害もなく元気に。
そんなことを思い出す誕生日。
深夜だったのでガラスに先生と助産婦さんの生まれた子供になんらかの処置をしているのが映って見える。
(何があったのですか?)
聞きたくても恐ろしくて声が出ない!
ようやくか弱い赤ちゃんの鳴き声が聞こえた。
(生きているの?)
赤ちゃんは助産婦さんに連れられて小児科へ連れて行かれた。
先生が私の処置をするのに戻ってきた。
「赤ちゃんね、出てくるときにちょっと息をするのが早くて便を飲み込んじゃったんだよ。だから生まれてすぐに泣かなかったんだ。でもちゃんと取り除いて今は小児科の先生に見てもらっているからね。心配しなくても大丈夫だよ。」
そうは言われても心配だった。
処置が終わって旦那が分娩室へ入ってきた。
できれば一緒に入ってもらいたかったんだけど、旦那は嫌だって言ってたから無理だってわかってた。
「子供は見た?」と私。
「うん。」
旦那はちょっと元気がなかったように見えたのは後で看護婦さんから聞いた話で納得する。
看護婦さんに子供がどういう状態で・・・って説明を受けた時、「うちの子はどうしてそんななんだろう。」って言ってたらしい。
上の子の時も普通ではなかったので、旦那はそう感じたのだろう。
子供は集中治療室へ入れられることとなる。
病院は母親のそばに赤ちゃんを置くところだったので、私は4人部屋で一人赤ちゃんのいない入院生活を送ることとなった。
看護婦さんが気をつかって部屋を移る?と言ってくれたけれど、そんなことはよくなっていた。
母乳に力を入れた病院だった。
でも私は上の子の時も出なかったので今回も無理だと思っていた。
周りはみんな赤ちゃんに吸わせることができるけれど、私にはそれができない。
吸わせることもできないのもあっておっぱいも張ってこない。
母乳マッサージは続いた。
個人的に自己マッサージの方法も教えてもらったりした。
胸が張るようにと甘いもの、もち、おこわなど進んで食べるようにも進められた。
授乳室で一人出ないおっぱいを絞るのは辛かった。
周りには赤ちゃんにおっぱいを与えながら楽しそうに話をしているお母さん達。
「どうして赤ちゃんはいないの?」
その問いに答えるのもまた悲しかった。
退院する時には50ccやっと絞れる感じだった。
それだけでも嬉しかったりした。全くでなかったおっぱいだったのだから。
子供より先に退院。
子供を毎日見舞うこととなる。
そんな子供も今では元気いっぱい走り回っている。
なんの障害もなく元気に。
そんなことを思い出す誕生日。
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